遊想に暦日無し

書くことは、欠くに等しく、満たされないものです

なぜ書くのか?

人が文字を発明して数千年といいます。そのさらに前に言語が誕生したと言われます。

 

占いの結果を亀の甲に刻んだり、王の事績を石板に刻んだりして、人は古来より、次世代に対して過去を残してきたと言えます。

 

新約聖書によると、初めに言葉があった… 言葉は神であった。と定義されます。中島敦の短編『文字禍』でも文字の神聖さ・害悪が語られます。それほどに人間は文字、もっと言えば書くという行為を重要視し、重要視するあまりその行為を社会の基底に置いたのです。

 

私はいま自分のiPhoneでこの文章を書いています。ではなぜ書くのか、TwitterであれFacebookであれInstagramであれ。自分に問うてもわからない。ブログは廃れ気味なのかもしれませんが、文字数制限も写真もリア友もいないから書けるだけ書けるのでしょう。

 

書きたいから書く。自分の頭に浮かんで消える言葉は、文字にしないと単に忘れてしまうのです。しかし日記を書く習慣はなく、ダラダラとこうして書くしかないのかなと思っています。

 

全ては自分のためです。といいながらも、その自分のために書いたものが誰かの目に留まり、何か少しでも読んでくださった方の人生に寄与できれば幸いです。